「妄想」という言葉に、なぜ僕は引っかかるのか

事実じゃないと自覚してるなら「妄想」じゃなくてもよくない?

僕だけかもしれない度:★★★★☆

僕は「妄想」という言葉の使われ方について、しばしば引っかかっている。

僕は多くの人のように「想像」や「空想」といった意味で使うのが、どうも好きじゃない。

特に「いかがわしい空想」といった文脈でよく見かける気がする。

断っておくが、それが誤用だと指摘したいわけじゃない。

辞書にも「根拠のないことを空想すること」といった意味がきちんと載っている。

だからその使い方がお墨付きを得ていることも理解している。

しかし「想像」や「空想」と言い換えられる文脈なら、「妄想」という言葉は少々強すぎるんじゃないかというのが今回の主張だ。

「妄想」はパワーワード

仏教用語や医学用語としての「妄想」は、「現実にはないことを、あると信じ込む状態」を指す。

僕には、この使い方のほうがしっくりくる。

なぜ人は「妄想」と言いたがるのか

なぜ多くの人は「想像」や「空想」で済む場面で、あえて「妄想」というのか。

その気持ちも理解できないわけじゃない。

おそらく「妄」という漢字が持つイメージを使いたいのだと思う。

「邪(よこしま)な」「乱れた」「後ろめたい」といったニュアンスだ。

いかがわしいことや、現実離れした独りよがりな考えを指す場合に使うのだろう。

「妄」の字が持つ少々ダークな雰囲気を載せたいのかもしれない。

また、自説を展開する際に「これは妄想だけど」と前置きするパターンも見かける。

この場合は責任逃れというか、保険をかけているような印象がある。

いずれにせよ本人がそれを事実ではないと自覚しているのなら、やはり「妄想」ではなく「想像」「空想」で十分じゃないだろうか。

便利さゆえの軽薄さ

「妄想」という言葉を使いがちなのは、無意識に便利な言葉へ逃げているからだろう。

言葉は時代と共に変化する生き物だ。

言葉というものが好きだからこそ、その使われ方が変わるのは当然だと理解している。

そう自分に言い聞かせつつも、過剰な使われ方には嫌悪感を覚えてしまう。

そもそも僕ほど敏感でない人にとっては、過剰に使っているつもりもないのだろう。

僕が指摘したような使い方が優勢になっているかどうかも、調査したわけじゃないから実際のところわからない。

「妄想という言葉は便利だから多用されがち」ということ自体、僕の「妄想」なのかもしれない。

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