言葉に対する僕のスタンス
僕は言葉にうるさい人間だ。
言葉というものに対し、異常なほど執着してしまう。
おそらく他の人に比べて、言葉に対する感受性が過敏なんだろう。
「言葉に関する潔癖症」と言えばイメージしやすいだろうか。
僕が指摘したいのは「誤用」ではない
しかし僕の言葉への執着は、一般に言われる「誤った日本語」にうるさい、という類のものではない。
僕は「言葉に正しいも誤りもない」と考えている。
言葉における「正しい」とか「誤り」というのは、「文脈的には」とか「辞書的には」といった前置きなしには論じられないと思うからだ。
そもそも言葉は時代や環境によって変化していくものだ。
僕は大学で日本文学や日本語学を少々かじっていたこともあり、そのあたりは俯瞰して見られるほうだという自負もある。
だから、よく誤用とされるような表現は、このブログでは特に触れる予定がない。
たとえば「確信犯」や「姑息」、「失笑」など、もともとの意味と現在の使われ方に開きがあるものだ。
そういった類いのものは、すでに「誤用警察」と言われるような人たちが指摘してくれている。
僕が言うまでもない。
また、そのような言葉はそれ自体が持つ響きや漢字の印象に、誤用を誘う要素があるともいえる。
少なからず、言葉の側にも誤解されやすい原因がある。
だからこそ、必ずしも間違えて使う人だけが悪いのではない。
僕がうるさくなってしまうこと
では、僕はどういう意味で言葉にうるさいのか。
それは、「言葉の使い方に対する安直さ」に対してうるさいのだと思う。
具体例を挙げた方が分かりやすいと思うけど、それは次回以降の記事として一つずつ丁寧に書いていく予定だ。
何のためのブログか
このブログは、あくまでも僕のモヤモヤを吐き出すためのものだ。
読んでくれた人にとって、おそらく実利をもたらすものではない。
僕は副業でWEBライターをやっているけど、このブログはマネタイズ要素一切なしで書いていく。
仕事じゃないからこそ、自分の思った通りに書く。
お金のために書く文章ではないので、あくまでも自分の気持ちを満たすために続ける。
ただ、もし僕に共感してくれるような人がいるなら繋がってみたいとは思いはある。
日常で関わっている人に対しては、なかなか言葉へのこだわりについて話せないから。
とりあえず週1回くらいのペースで更新してみたいと思う。
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